2022年4月28日(木)

今回の卓話

「最高の仕事 『日本舞踊家』 ~人から喜ばれる伝統芸能を目指して~」

日本舞踊家
有馬 和歌子

皆様こんにちは。 ご紹介に預かりました日本舞踊家の有馬和歌子と申します。
今、社会人2年目の私は、日本舞踊家という仕事にやりがいと誇りをもって、大好きな仕事として頑張っているところです。そして、私が活動する中で一番大切に考えていることが、副題につけた「人から喜ばれる」ことについてです。

まず、緊張をほぐしたいという思いで、中国の伝統楽器二胡で踊った「睡蓮」という演目をほんのワンフレーズだけ実演で踊らせていただきます。
(実演)
そもそも日本舞踊のルーツは祈りから来ていると思います。日本は農耕民族ですので、神様に「豊作になるように」、「天災や災害が起きないように」と祈ることから踊りが始まったのではないでしょうか。それが豪華な衣装や様々な趣向で踊りの幅が広がり、今に伝わっていると考えています。

私のプロフィールを少しご紹介いたします。私は1998年、平成10年に生まれました。この年は冬季長野オリンピックが開催され、郵便番号が7桁になった年だそうです。 父は坂東寛二郎という名の日本舞踊家で、私は父から日本舞踊を習いました。13歳で坂東流の名前をいただき、18歳で師範の資格をいただき、19歳の時に子供向けの日本舞踊教室の「子供舞踊塾」を父から引継ぎ、代表として取り組んでおります。 今まで、半蔵門の国立劇場や増上寺の野外と屋内にて踊らせていただいたり、奈良の東大寺の野外で5000人の観客の前で踊らせていただいたりしています。最近では、伊藤忠商事の「未来を試着しよう。」というCMに、日本の伝統的な衣服の着物姿で登場させていただきました。
https://www.youtube.com/watch?v=JSM0OtznLYE(外部リンク)

私は日本舞踊家として主に5つの仕事をさせていただいております。
表舞台に立つ仕事としては、映像やCMがあります。ベネッセの「こどもちゃれんじ」という子供向けの媒体にも出演させていただきました。二つ目は舞台やイベント、コンサートへの出演です。そして、三つ目は取材やインタビューを受けることも表舞台に立つ仕事です。また、四つ目にプロデュースという仕事では、映像やイベント、舞台の中味を相手のコンセプトや予算を勘案しながら作っています。最後の教育事業の仕事では、子供が大好きなので「子供舞踊塾」の事業を頑張っているところです。

社会人2年目の私が日本舞踊家という仕事の中で一番考えているのは、「伝統芸能イコール価値がある」という固定観念を見直すことです。日本舞踊はブランドで価値があるから良いものだというだけでは、なかなか日本舞踊の良さは伝わらないと考えました。お客様にとって日本舞踊のどこが喜んでいただけるのかをもっと研究し、伝統芸能として良質な部分を守りつつ、今一番喜んでもらえることは何かを考えてうまくバランスをとることが、伝統芸能の継承者としてやるべきことだと考えるようになりました。

私の2歳の初舞台の写真をご紹介します。この初舞台は泣いたり笑ったりの経験でした。私はこの初舞台のことも泣いた理由も鮮明に覚えています。日本舞踊は職人さんの種類と人数が多く、沢山の人に支えられて一つの舞台が出来上がっていきます。私の初舞台の時、普段は落ち着いた印象の職人さんたちが、ものすごい気迫で私に衣装を着せ、髪の毛を整えたのに圧倒されて泣いてしまいました。

次の映像は、私が2,3歳の時のお稽古の映像と、小学校2年生のときの「五条橋」という演目のお稽古の映像です。「五条橋」では父が弁慶、私が牛若丸を演じました。このように2歳からずっと父に日本舞踊を習い続けてきました。父が先生であるのが自然なことで、家にいれば優しいお父さん、稽古場では厳しい先生というのが当たり前になっています。

幼少のころから日本舞踊家になりたいという夢は変わらず、父に憧れて同じ職業に就きたいと思っていた私に、思わぬタイミングで仕事としての日本舞踊家を意識する転機が訪れました。それは、中学高校の部活動でした。私はコーラス部に所属していました。引退を控えた高校2年の文化祭で上演するミュージカルについて、コーラス部の部長として部員をまとめ、限りある予算と能力の中でできることを最大限発揮するにはどうしたら良いか、どう表現したらお客様に喜んでもらえるかと、仲間とお客様のことをとてもよく考えました。ふと、日本舞踊はどうだろうと考えたのがこの時期でした。日本舞踊を仕事として続けるなら、人のためにやっていくのが良いのではないかと考えたのです。

大学1年生の時の初めての仕事の映像をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=0-ztFizPxxY(外部リンク)
舞台の構成、出演など色々なことを担当させてもらった連獅子の映像です。舞浜のアンフィシアターで開催されたIT企業レノボの年度初めのパーティで演じました。オープニングで役員の方々が飛び入り参加するという演出の要望がありましたので、初めて日本舞踊に挑戦する日本語の通じない外国人の方にもできることを考えて構成しました。白い親獅子が父で、赤い子獅子が私です。後ろで振っているカラフルな晒はレノボのカラー6色から5色を選んで小道具屋に頼んで五色晒にする工夫をしました。

目の前に顔が見える誰かを喜ばせたいという思いから始めたのが「子供舞踊塾」です。「子供舞踊塾」では、子供たちに日本舞踊の稽古と舞台に出ることを1年間の短い期間で全てを体験してもらうという企画を行っています。国立劇場の大稽古場でリハーサルを行い、化粧して衣装を着せてもらって舞台に上がるという流れです。それ以外にも子供たちに日本の良いものを吸収してもらいたいという思いから、虎屋の協力を得て和菓子をみんなで作ったり、日本舞踊の本格的な小道具に実際に触れてもらったり、日本の鰹節や昆布のおだしについて学びを深めたり、増上寺にお邪魔して境内の中を見学させてもらったりと、日本の良いものを体験するという企画を行っています。昨年度から三菱UFJフィナンシャル・グループにも応援していただけるようになりました。あくまでも日本舞踊の教室ですが、子供たちが成長できる大事な居場所という役割であってほしいという気持ちで頑張っています。日本舞踊を通して得られるものがあれば、日本舞踊の価値を上げるきっかけになると信じています。そして、子供たちが喜ぶのと同時に、日本舞踊に携わる多くの職人さんが次の世代を育てて、その職業だけで生活していける、誇りを持てるようにすることに貢献したいと思っています。

私は、可能性の眼鏡をかけることをいつも考えています。自分の活動や自分の視野の中に、日本舞踊の価値が眠っていると思います。可能性の眼鏡をかけて、まだ掘り起こしていない日本舞踊の価値を見つけたいと思っています。

最後に今チャレンジしていることをご紹介いたします。「ひとのときを、思う。JT」というキャッチフレーズでおなじみの日本たばこ産業が、法人向けの日本舞踊体験プログラムに参加されています。私は主に子供たちを対象としていますが、父は大人の方を対象とした教室を40年以上続けております。大人の方にも日本舞踊を通して日本を学んでもらいたいという気持ちから単発の体験プログラムを企画し、赤坂区民センターのホールや国立劇場の舞台に立つことを目指して稽古するというプログラムになっています。

今日、ほとんどの方と初めてお目にかかりましたが、もう少し話を聞いても良い、育ててあげても良いという方がいらっしゃいましたら、是非ご指導いただければと思います。「子供舞踊塾」、そして父が主催する大人向けの「寛和会」もご協賛、ご支援を募っております。ご賛同いただけましたら嬉しいです。本日はありがとうございました。