今回の卓話
みなさん、こんにちは。私はたまたま野球の世界でここまで来させてもらいました。この野球を通じて自分なりに感じたことは、やはり人のご縁です。人さまのご縁がなかったら、果たして今の自分はあるだろうかと思います。
18歳でプロ野球に入り、入った限りは何かをしなければいけないと思い、先輩たちから何か盗めるものはないだろうかと目で追いかけていました。ある先輩が夜9時になると毎日屋上でバットを1時間振っていました。どのような考え方を持っているのか尋ねようと風呂まで付いて行き、頭を下げて教えてほしいとお願いしましたが、答えてもらえませんでした。ただ、風呂の後で部屋に呼ばれて言われたのは、お前に教えてお前が上手くなったら自分が抜かれてしまう。悔しければ、目で物を盗んで相手を抜くのがこの世界の一番の基本だということでした。一つだけ教えてやると言って、一日は24時間だと言われました。その一言を考え直したときに、あの人は自分の野球のために夜9時からの1時間を作っているのだと気づきました。この世界では自分で創意工夫して時間を作り、使うのだということを、プロの第一歩として、頭を殴られたような感じで気づかされました。
入団当初は当然二軍でした。休みの日に大阪へ出かけて目新しいものを食べて腹を壊しました。しかし翌日は練習です。しかも朝食前にランニングがあります。今の体調ではランニングは無理だと思いました。当時の二軍監督は藤村富美男さんの弟の藤村隆男さんという方でした。この藤村監督に、体調を話して、朝のランニングは休ませてほしい、10時からの普通の練習には出ますからと言ったところ、いきなり荷物をまとめて福井に帰れと言われました。たかが朝のランニングなのに、帰れと言われてカチンと来たので、監督に食ってかかりました。そして、走ればいいんでしょと言って走りました。その日一日、納得できずに不貞腐れていたら、練習後に藤村監督に呼ばれました。そして、自分の体の管理もできないような甘い考えではプロ野球で通用しないということを目覚めさせられました。
そうこうしているうちに、私たちの時代のトップ、江夏豊、田淵幸一、藤田平が御三家と呼ばれる時代になりました。表面上の江夏豊の傲慢な姿は皆さんよくご存じだと思います。でも、その裏側を、江夏豊はどのような生きざまだったのかを少しお話いたします。
江夏さんは私より1歳年上です。寮で食事の後、後ろに座っていた江夏さんが私に煙草をくれと言いました。私が顔も見ずに煙草を渡したところ、その態度が悪いと喧嘩になりました。間に入った先輩から、私の態度が悪かったのだから謝れと言われ、確かにそうだと思って謝ったところ、江夏さんから自分も言い過ぎた、これからは一緒になってやっていこうと言われました。それから、私に対しては非常に気を使ってくれました。江夏さんが私の故郷の福井でのサイン会に行くとき、一緒に来いと言って連れていかれました。サイン会のギャラを聞かれて15万だと答えると、30分ほど席を外して戻ってきたときに、お前のギャラは30万でよいかと言われました。当時給料が7万だったので、15万のギャラでもありがたいのに30万と聞いて、とても驚きました。サイン会では当然江夏さんの方に人が集まるので、まず私のところへ来てから江夏さんのところへ行き連名のサインになるようにと気配りしてくれました。こういう気配りが周りに知られていないので、江夏さんに、いい加減その強面の江夏豊は外したらどうか言ったことがあります。江夏さんは、ここまで虚勢張って生きてきたから、今更この虚勢は外せない、死ぬまでこの姿で生きていくと言っていました。
田淵幸一が頭にデッドボールを受けて入院した時、私も二軍戦で頭にデッドボールが当たり、同じ病院に入院していました。急にうるさくなってきて何があったのかと看護師に尋ねたら、田淵さんが頭にデッドボールが当たって運ばれてきたと言われました。次の日から球団の偉い方々やトップの方々が、田淵さんのところへ大丈夫かと次々見舞いに訪れました。3歩先に私の病室がありますが、誰も来ません。ただ一人、田淵さんのお母さんが「川藤さん、大丈夫?」と心配してくれました。そのお母さんのやさしさに触れて、田淵幸一のあのおおらかな素晴らしいホームラン打者はこのお母さんがあってのことだと思いました。
藤村富美男さんから、阪神タイガースというチームで生きることを教わったのは昭和60年、21年ぶりの優勝を経験した時です。監督のやり方に納得いかない時にガンガンと文句をつける私に対して、それで良いと言ってくれました。目先の一打席よりも、先輩として後輩の掛布や岡田、真弓や佐野を引っ張っていくのがお前の務めだ。阪神タイガースの歴史を後輩に教えていくのがお前の仕事だと言われました。この時初めて、私はタイガースの一員になれた、良いチームに入らせてもらったと感じました。確かに、その時々で色々と感じるものはあります。しかし中心になるのは、助言を下さる方々とのご縁です。自分自身の考えを真正面からぶつけて、先輩たちからもそれを跳ね返していただく、そういう世界が必要だと思います。
昨年の阪神タイガースの18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一は嬉しかったです。ファンの方々にも喜んでいただきました。この優勝の喜びは主力選手だけの喜びか、そうではありません。私も18年目で優勝を経験しました。その前の17年間の自分の考え方と18年目の優勝の瞬間の考え方がどれほど違うかを最後にお話しさせていただきます。
10月16日だったと思います。練習の終わり近くに後輩のピッチャー伊藤が、話があると言ってきました。聞くと、前半に4勝したがその後勝てずに二軍落ちしている。ところが一軍の若いピッチャーのアメリカ留学の員数合わせに彼も加えられたが面白くない。今日優勝してもどう喜んだら良いかわからないというのです。私は伊藤に、彼の4勝が無ければ今日という日は無い。それだけでもどれほどこの優勝に貢献しているかわかるだろう。私はヒット2本しかないのに、首脳陣と選手の間でギャーコラと言っている。こんなものはプロ野球選手ではない。でも、なぜ自分の心を殺したかというと、それは優勝したいからだ。優勝の瞬間にどんな姿で私が喜ぶか、隣で見ろと言いました。そして、その瞬間が来ました。ピッチャー中西が投げる瞬間に私は駆け出していました。ゲームセットになってからでは乗り遅れるからです。あの瞬間、マウンドめがけて一斉にみんなが走っていく。周りをみれば選手がワイワイと喜び、スタンドではファンが泣いている、裏方さんも一緒になって泣いてくれている。優勝の瞬間の思いはこれだったんだ。団体で、みんなで一つのものを勝ち取るためには、皆それぞれの立場で力を尽くす。これが、ファンの皆さんにあそこまでの感動を与えるのではないか、私は本当にその瞬間、肌で感じました。ですから、自分の浅はかな考えや個人の喜びなどはたかが知れていると思いました。
ロータリークラブの皆さんが世間のために良い方向で活動されているのは、まさしく、優勝を目指しているのと一緒です。今後皆様の気持ちが一つになって、どんどんと前へ進んでいくことを祈念して、話を終わります。ありがとうございました。
