第1734回例会:2025年9月25日(木)

今回の卓話

「日本の漫画はなぜ世界に広まったのか」

マンガ家
里中 満智子 様

今日は「日本の漫画はなぜ世界を制したか」という、ちょっと挑戦的なタイトルで、背景をお話しさせていただきますね。日本の漫画やアニメが世界中で受け入れられていることは、もう皆さんご承知だと思います。多くの方が、それは「面白い作品がいっぱいあるから」だとお思いでしょうが、実はそうではなく、日本の漫画はもともと、世界の常識をすべて壊した異端児だったからこそ成功したんです。
当時の世界の常識では、漫画は「子どもが読むもの」で、「健康的で単純」「正義は必ず勝つ」という、教育上良いものでなくてはいけないと決まっていました。難しいテーマや複雑な人間関係は、漫画にはふさわしくない、単純であるべきだと。ヒーローものでも、悪は最初から悪で、必ずやっつけられるべき、この世は白か黒かである、というのが世界の常識だったんですね。

■世界の常識を打ち破った天才、手塚治虫

その常識を全部ぶっ壊してくれたのが、皆さんご存知の手塚治虫さん、漫画の神様です。手塚先生がなぜ神様と呼ばれるかというと、それまでの「漫画はこういうものだ」という常識をすべて壊したからです。
まず、「正義は必ず勝つ」という鉄則がない。手塚漫画の世界では、正義も負けることがある。こてんぱんに敗北し、いなかったこと同然に抹殺されてしまうヒーローだっているんです。さらに、何が正義かは立場によって変わる、という深いテーマを描きました。敵役だって、実は彼らなりに理由あって悪事を働いている、という悲しさが描かれている。ヒーローだって、色々悩みながら、苦しみながら、それでも命をかける。
子供心にそういうものを読むと、世の中ってそう単純じゃないんだなって、なんとなくわかるんです。賞賛されなくても、勝てなくても、みんなが認めてくれなくても、それでも自分は正しい道のために命をかけられるか?ってことを問われるような、奥深い精神性がそこにはあった。大人が読んでも面白い、多様な表現が生まれたんです。
この手塚先生の革新的な世界観が、「漫画で何でも表現できる」という可能性を後の世代の漫画家たちに示し、自己表現の手段として、多くの才能がこの世界に入ってくることになりました。絵は画家のように上手でなくても、キャラクターの思いが伝わる表情が書ければ大丈夫。自分でストーリーを考え、セリフを考えて、構成していく。この自由さが、日本の漫画を強くしたんです。

■アメリカに拒否されても「自分の道」を貫いた

時は流れて1970年代。日本も経済的に自信がつき、「漫画を海外に持っていこう」と。ついアメリカだけを見て、「アメリカに受け入れられたら世界基準だ」と思い込んでいたんですね。ところが、皆さんもご存知の『ドラえもん』などは、アメリカから散々拒否されました。
「モノクロで分厚い。子供は我慢強く読んでられない」
「ロボットであるドラえもんが、人間であるのび太くんより優位なんて、世界の理に反している。しかも猫型だ。動物は人間より下だ。実にばかばかしい世界だ」
「主人公がモテない。悪と正義がはっきり分かれていない。こんなものはコミックじゃない」
日本の漫画は、「正義は必ず勝つ」「白か黒か」というアメリカの基準に合わなかったんです。ここで、「アメリカに合わせなきゃ!」と、強くてたくましい主人公ばかり書いていたら、日本独自の漫画文化は失敗に終わっていたでしょう。
しかし、私たち漫画家も出版社も、「もういいや、アメリカに認められなくても、日本だけで受けていればいい」と、世界基準に迎合するのをやめました。これまで通り、自分が心の底から信じていること、描きたい人間ドラマを貫き通したんです。理解されない主人公、報われずに倒れていく主人公、モテないブサイクな主人公をせっせと書き続けたわけです。

■「合わせない」からこそ世界に広まった

結果的に、この「世界基準に合わせなかった」ことが、日本漫画の最大の強みになりました。自分が信じていることを、受け入れられようがどうしようが、ごく少数の読者であっても届けたい、誰か一人でも勇気づけられたら嬉しい、そう思って描き続けた。その勇気が、かえって読者にとって「思いもよらぬもの」として新鮮に映ったんです。
その結果、アジア、ヨーロッパと広がり、何十年か経って、最後にアメリカにまで戻っていきました。その時、アメリカの漫画家からも「どうして日本だけがこんなに変化に富んだ多様な漫画を生み出せたんだ?」と言われたんですよ。あの時、自分のやり方を信じ、迎合しなかった判断は賢明だったと思います。

■アニメーションも「自由」を選んだ

アニメーションも同じです。お金も人手もない中で、「毎週必ず届ける」ことを優先し、動きを省略する「リミテッド・アニメーション」という手法を採用しました。これは当時「手抜き」だと馬鹿にされましたが、そのおかげで、リアルな動きに縛られない自由自在なキャラクター表現が可能になり、ぶっ飛んだ造形のキャラクターも次々と生み出せました。
漫画もアニメも、世界基準に迎合せず、自分のやり方を信じる勇気を持ったからこそ、日本独自の文化として発展し、今も世界中で愛され続けているんです。漫画は国籍、性別に関係なく、誰でも同じ条件で勝負できる、とても自由な文化です。これからも世界中の若者がこの世界を目指してくれれば嬉しいなと思っております。