本日は、「俳句という相棒」という題でお話ししたいと思います。俳句にお誘いしますと、概ね、「時間がない」「高尚なことは苦手で」「自分にはセンスがない」などと敬遠され勝ちです。
しかし、ここ数年、テレビに俳句が登場し、少し敷居が低くなり、俳句の入口が広がったように感じております 。どなたでも作れるもの、という認識になってきたのではないでしょうか。
本日は、難しいお話ではなく、また俳句へのお誘いでもなく、「俳句とはどのようなものか」ということをお話ししたいと思いますので、どうぞ軽い気持ちでお聞きいただければ幸いです。
■日常のすべてが俳句の材料
人は皆、等しく24時間を持っています。しかし、その使い方はまちまちです。24時間が長いと感じる方、短く足りないと思われる方、様々でしょう。
そして人は、理性や知性と共に感情を持っているので 、どのような時間を過ごそうと、常に何かを感じています。この喜怒哀楽の感情こそが、人間だけに与えられた特質であり、その何かを感じること、それがイコール俳句です。
24時間すべてが俳句の材料になります。もちろん、実際に俳句として記すか記さないかにもよります。しかし、書かずとも、朝起きた途端に「なんか寒いな」とか、夜空を見上げて「月がきれいだったな」とふとした瞬間に何かを感じることは、皆様の日常にも自然にあることでしょう。
俳句は日々の日記であり 、その延長線上で人生を詠います。日々の記録として「句日記」のつもりで身の回りの出来事を記していると、様々な感動が生まれ、やがて人生への「気づき」が生まれるのです。
■客観性を養う「季語」と「相棒」
俳句は、季語に託して自分の感情や写生した景色を詠います。これは、自分の感情をそのままぶつけるのではなく、その気持ちを醸しながら、季語という媒介に託すのです。この点、ある意味他力本願であると言えます。
季語に託すためには、季語を知り、季語とお友達になること、そして季語に全幅の信頼を寄せることが大切です。例えば「冬日和」という季語は、暖かく穏やかな日を指し、気持ちが荒んでいる時には使いません。荒んでいれば、その時には「冴ゆる」や「凍る」といった、その心情に合った季語を自ずと選ぶのです。
このように季語を意識して生きてゆくうちに、体の中に季節の移ろいという体内時計を持つようになります。そして時候・天文・地理・生活・行事など様々に心を寄せます。
さらに、俳句は客観性を養う修練の場です。自分をむき出しにせず、季語に託さなければなりません。これこそが、人間修行の場となります。
さらに、常にもう一人の自分という相棒の存在を感じるようになります。自分を客観視するもう一人の自分が常に隣にいて、軌道修正してくれたり、アドバイスをくれたりするのです。
我々俳人は俳句を作りに吟行に出かけますが、実は特別な場所に行かなくても、俳句の材料は日常にいくらでもあります。実人生を生き、その人生の感動を掬い取って俳句に詠むことで二倍の味わいが生まれます。
■会員の作品紹介:人生を詠む
それでは、新・山の手句会の会員の皆様の作品をご紹介させていただきます。私の独断と偏見で選ばせていただきましたことをお許しください。
- 藍澤 宝珠さん
蜜柑剝く玉手一日かをりけり
「玉手(たまて)」は手の美称、敬称ですね。蜜柑を剝いた後の香りが、一日中余韻として残っている、そう感じることで作者のたおやかさや、心に残る幸せな感覚が描かれています。
- 天野 純一さん
生きてみて病得て知る良夜かな
病を克服された後に、改めて見る良夜(十五夜の月)の光に、人生の深さや尊さをしみじみと感じている 。病も捨てたものではない、という境地が窺えます。
- 安福良直さん
エヴリバディ歩めば花のサニーサイド
この句は、朝ドラの「カムカムエヴリバディ」から発想を得た作品ですね。「、「花のサニーサイド(陽の当たる場所)」に向かって、みんなが胸を張って歩んでいくような、若さや活力が溢れる一句です。「花」は俳句では桜を指します。
- 井上 豊乃さん
大鎌の右側もげし枯蟷螂
「枯蟷螂(かれとうろう)」は冬の季語です。夏の盛りを過ぎ、寒さの中で見かけるカマキリの姿を詠んでいます。獲物を捕らえるための大鎌の「右側がもげてしまっている」という致命的な状況が、この小さな命の哀れさを一層強く感じさせている作品です。
- 江中 武久さん
譲られし優先席や大西日
優先席を譲られた際の、少しの戸惑いと、大西日(夏の強い日差し)の季語を使うことで、「まだ若さはあるぞ」という揺れ動く気持ちを描いています 。八十歳を迎えた人生の節目の心境を詠まれた作品です。
- 大川 丈男さん
混沌と生きてみなはれ大文字
京都の大文字(お盆の季語)を見ていた際に、作者より年上の人から発せられた「混沌と生きてみなはれ」という深みのある言葉が胸に響いたのでしょう。人生への思いが込められているように感じます。
- 熊森 克己さん
秋深し眠れるビルに灯一つ
夜、真っ暗なビルを見上げると、上の方に灯が一つ点っている。作者はそこで遅くまで働いている人とその人を待つ家族の存在までに思いを馳せている、奥行きのある作品です。
- 後藤 守機さん
八ヶ岳端から端まで虹掛かる
夏の季語「虹」を用いて、雄大な自然の奇跡的な光景を詠んでいます。 壮大な八ヶ岳連峰の「八」に対し、「端から端まで」という表現で、 虹が景色全体を覆い尽くすほどの圧倒的なスケールであったことを強調。 作者の、滅多に見られない光景への感動と驚きが伝わる一句です。
- 鈴木 一三さん
どくだみの白き十字に祈り込め
薬効があることで知られるドクダミは手折ると独特の匂いがするので嫌われますが、実はその白い花はとても清楚で美しいのです。十薬とも呼び、その形から「白き十字」と見立て、「祈り」を込めた作者の心優しい作品になっています。
- 武部 恭枝さん
病室にサザエさん読む遅日かな
「遅日(ちじつ)」は春の季語で、日がゆっくりと暮れていく様子を指します。退院間近と思われる病室で、「サザエさん」の漫画を読んでいる情景です。ゆっくりと暮れてゆく情景とあいまって、回復への希望の中にも、病室で読む「サザエさん」にはふとした寂しさが感じられます。
- 伊達 幹さん
人生の余りし日々や日向ぼこ
「日向ぼこ(ひなたぼこ)」のほっこりとした暖かさの中に身を置きながら、ご自身の人生の残りを受け止めていらっしゃる境地が詠まれています。これは寂しさとしてではなく、残された日々を穏やかに、すべてを受け入れて生きていこうという、しみじみとした境地を味わっていらっしゃる一句です。
- 西村 翔士さん
凛として天を仰ぐや寒鴉
「寒鴉(かんがらす)」は冬の季語で、厳しい寒さの中にいるカラスを指します。そのカラスが寒さに負けずに「凛として天を仰ぐ」姿に、作者ご自身の、あるいは人間のあるべき「生きる姿勢」を重ねていらっしゃる力強い一句でございます。
- 松本 ニシキさん
白詰草幼き頃の花飾り
少女時代誰もが経験したであろう、シロツメクサの葉や茎を編んで花飾りを作った、幼い頃の思い出が詰まった一句です。シロツメクサ特有の香りや、花飾りのひんやりした感触など、懐かしい感覚が蘇ってくるような情景が描かれています。
- 矢崎 潤子さん
後継ぐと父の真似して懐手
「懐手(ふところで)」は寒い時に、和服の袖口から手を入れて寒さを防ぐ冬の仕草です。将来家業を継ぐことになるであろう子どもが、父の仕草を真似している微笑ましい情景が目に浮かびます。その真似をする姿に、子どもなりに背負う責任感のようなものが垣間見える一句です。
結びとして、私の句も一つ。
- 福神 規子
別のこと考へてゐる滝の前
迫力ある滝を前にして、その音に包まれていると、しばらくしてその音が聞こえなくなり、無音の中でふと別のことを考えている自分に気づく ことがあります。
震災の俳句、戦争の俳句は日本のみならず、世界でも詠まれています。俳句セラピーも行われています。
俳句の実例をあげてお話いたしましたが、自然をつかさどる大いなる造化の神が見せてくれる自然の魅力を詠嘆し、人生を詠嘆してゆくことは、ひいては世界平和に繋がるのではないでしょうか。
長くなりましたが、ご清聴ありがとうございました。