第1751回例会:2026年3月5日(木)

今回の卓話

エンターテインメント向けAI翻訳の現在地
~マンガ翻訳の事例~

Mantra株式会社 代表取締役
石渡 祥之佑 様

はじめに:AI翻訳と「マントラ」の挑戦

皆さま、こんにちは。マントラ株式会社の石渡と申します。本日は「エンターテインメント向けAI翻訳の現在地 マンガ翻訳の事例」というタイトルでお話しさせていただきます。
最近は生成AIという言葉を耳にしない日はありませんが、皆さまもテキストの要約や作成、あるいは翻訳にChatGPTやGeminiを使われている方も多いのではないでしょうか。我々「マントラ」は、社名そのものが「マンガ・トランスレーション」の略である通り、漫画に特化したAI翻訳技術を開発するために2020年にスタートした会社です。
現在は社員50名弱となり、エンジニアだけでなく、社内にプロの翻訳チームも抱えています。集英社さんや小学館さん、KADOKAWAさんといった大手出版社さんからも出資をいただきながら、日本が世界に誇る漫画、小説、ゲーム、アニメといったコンテンツを、いかに速く、高品質に世界へ届けるかという課題に取り組んでいます。

マンガ翻訳のボトルネックと社会問題

今、日本の漫画は世界中で爆発的に読まれています。少し前のデータでは、北米では過去4年で売上が5倍、フランスでも2倍以上に伸びています。しかし、ここにはまだ大きな問題があります。
現在、日本で出版される漫画のうち、公式に翻訳されているのはわずか1割程度です。残りの9割は、海外では読みたくても読めない。その隙間を突く形で、「海賊版」が横行しています。ファンが勝手にスキャンし、翻訳して無料で公開してしまうのです。その被害額は年間約8,000億円とも言われ、これは日本国内の漫画市場に匹敵する規模です。
なぜ公式翻訳が進まないのか。その理由の一つは、漫画の翻訳が極めて特殊で手間がかかるからです。絵の中の文字を消し、適切な言葉を選び、デザインをし直す。このプロセスをすべて人手でやっていると、時間もコストもかかりすぎてしまう。私たちは、この「翻訳のボトルネック」をAIで解消し、日本から出る漫画を100%世界に届けることを目指しています。

AIと人間の「協業」の進化

AIの進化により、翻訳の現場は劇的に変わりつつあります。かつてAI翻訳は「AI翻訳を横目で見ながら参考にしつつ、人間がゼロから訳す」という程度の使われ方でしたが、今は「AIが作った下訳を人間が修正する」プロセスも一般的になりつつあります。
さらに最新のLLM(大規模言語モデル)では、人間が「このキャラクターは乱暴な口調で」といったルール(プロンプト)を与え、AIに修正指示を出す「対話型」の翻訳が可能になっています。

マンガAI翻訳の裏側:三層のAI技術

漫画をAIで翻訳するのは、普通の文書翻訳より遥かに難易度が高い作業です。我々は大きく分けて3つのAIを組み合わせています。
第一に「画像を読むAI」です。 漫画には、写植された綺麗な文字だけでなく、手書きの叫び声や、絵と一体化した擬音(オノマトペ)などが溢れています。コマを突き抜けて書かれた文字や、猫の鳴き声のような絵に近いテキストを正しく認識し、抽出するのは、AIにとってもも依然難しい課題の一つです。
第二に「テキストを翻訳するAI」です。 漫画は文脈の塊です。例えば「アイ・ヘイト・ピーポー・ライク・ケイタロウ」という女性のセリフがあったとき、直訳すれば「ケイタロウのような人は嫌いだ」となりますが、実はこれだけでは不十分です。たとえば、この女性は普段ケイタロウのことを名字と名前のどちらで呼んでいるのか、ケイタロウに対してはどのような口調で話しているのか。そうしたキャラクターの設定を考慮して翻訳し、それを物語を通して一貫させなければ、読者は物語に没入できません。 我々は、漫画1冊を丸ごとAIに読ませ、誰が誰に喋っているのかを自動で判定し、キャラクターごとに異なる口調を翻訳に反映させる技術を開発しています。
第三に「画像を生成するAI」です。 翻訳した文字を絵の中に書き込む際、背景のトーン(ドット模様)を壊さずに日本語を消し、英語版のテキストを美しく配置し直す技術が必要です。海外のファンは非常に目が肥えていますから、画像処理の品質にも一切の妥協は許されません。

2026年の最前線:マルチモーダルと自律ルール

さらに直近の数ヶ月で、AIはもう一段階上のステージへ進みました。それが「マルチモーダルLLM」の活用です。
これまでのAIは「画像を読むAI」と「翻訳するAI」に担当が分かれていましたが、最新のAIは一枚の絵を見て、「女性が撃った銃弾が壁に当たり、外れた場面だ」といった状況を深く理解した上で翻訳を行うことができます。1つのAIが絵と文字の両方を同時に理解した上で翻訳を行うため、エラーが大きく減少しました。
また、AI自身に従うべき「翻訳ガイドライン」を作成させることもできるようになっています。AIに漫画を読み込ませ、「このキャラは一人称が『うち』で、コテコテの関西弁を話すお茶目な性格だ」といった分析を行い、その性格に基づいた英語の翻訳ルールを作らせるのです。これにより、人間でも苦労していた細かいニュアンスの再現やキャラクターごとの一貫性の維持が可能になりつつあります。

おわりに:AIネイティブな翻訳の未来

我々マントラは、こうした最先端技術を駆使する「AIネイティブなエンタメ翻訳会社」です。漫画から始まった我々の技術は、今やアニメ、ゲーム、小説へと広がっています。
また、翻訳された漫画を使って英語を学ぶ「Langaku(ランガク)」というアプリも展開しており、現在は都立高校など教育現場でも導入が進んでいます。コンテンツを「輸出」するだけでなく、それを活用して「学ぶ」という新しい価値も生まれています。
AIによって仕事がなくなるのではないか、という議論もありますが、私はむしろ逆だと考えています。AIという強力な相棒を得ることで、今まで世に出ることがなかった素晴らしい才能や作品が、瞬時に海を越え、世界中の人々を感動させることができるようになる。
皆さまのビジネスの現場でも、AIによって「これまで不可能だったこと」が可能になる瞬間が必ず訪れます。今日の話が、皆さまにとって新しい時代の変化を感じるきっかけになれば幸いです。
ご清聴ありがとうございました。