今回の卓話
走・跳・投を1つの競技として統合する——混成競技の世界
皆さま、こんにちは。帝京科学大学の持田でございます。本日は、このような光栄な例会にお招きいただき、誠にありがとうございます。
本日のタイトルは「スペシャリストを超えるゼネラリスト——日本混成競技の挑戦」といたしました。皆さまのビジネスの現場においても、特定の分野に特化した「スペシャリスト」と、全体を俯瞰し、多様な要素を統合する「ゼネラリスト」とのバランスについて考えられることが多いかと存じます。本日ご紹介する「混成競技」は、まさにこの二つの要素の融合に挑むスポーツです。
混成競技とは、「走る・跳ぶ・投げる」という陸上競技の基本要素を含む複数の種目を、2日間にわたって行い、それぞれの記録を国際的な得点表によって得点に換算し、その合計点を競う競技です。2日間の激闘の末、わずか1点、2点の差で勝敗が決まることも珍しくありません。種目や記録水準にもよりますが、例えば2点差は、100m走では0.01秒ほど、走幅跳では1cm程度という、ごくわずかな差に相当します。総合得点が8000点にも及ぶ競技でありながら、その中のわずかな得点差が勝敗を分けるところに、混成競技のロマンがあります。
混成競技の背景を少しさかのぼると、その思想的な源流は、古代オリンピックにおける五種競技に見ることができます。古代の五種競技は、スタディオン走、走幅跳、円盤投、やり投、そして格闘種目から構成されていたとされ、一つの能力だけでなく、走る、跳ぶ、投げる、そして相手と組み合う力を含めた総合的な身体能力が問われました。現代の十種競技・七種競技とは種目構成や勝敗の決め方は異なりますが、異なる能力を組み合わせ、調和のとれた競技者像を求める点では、現代の混成競技に通じる考え方があります。
混成競技は、ただ苦しさに耐えるだけの競技ではありません。性質の異なる種目に次々と向き合い、そのたびに身体の使い方、集中の仕方、力の出し方を切り替えながら、二日間を戦い抜く競技です。
中国語で十種競技は「十項全能」と呼ばれます。まさにその名が示すように、混成競技とは、一つの能力に秀でるだけでなく、多方面の能力を備え、特性の異なる種目に応じてそれらを切り替え、統合し、最後まで発揮し続ける競技なのです。
疲労と技術と精神力——2日間にわたる種目配列の構造
男子が行うのは「十種競技(デカスロン/Decathlon)」です。1日目に100m、走幅跳、砲丸投、走高跳、400mの5種目を行います。初日は爆発的なパワーと瞬発力が求められ、特に400mは疲労との激しい闘いとなります。2日目は、身体に大きな疲労を蓄積した状態で、110mハードル、円盤投、棒高跳、やり投、そして最後に1500mを走り抜きます。疲労の蓄積した中で高度な技術と精神力が試され、最終種目の1500mはすべての体力を使い果たす精神力の総仕上げとなります。
一方、女子が競うのは「七種競技(ヘプタスロン/Heptathlon)」です。100mハードル、走高跳、砲丸投、200m、走幅跳、やり投、800mの7種目を、同じく2日間にわたって行います。種目数や構成は異なりますが、いずれも走・跳・投の力を統合し、疲労や緊張の中で自らの力を発揮し続ける、きわめて高度な総合競技です。
ここで重要なのは、混成競技の強さとは単一種目における最高能力だけを意味しないということです。種目の順序、疲労の蓄積、最終種目への心理的プレッシャー——これらすべてを含むゲーム構造の中で、2日間を通して崩れない実行力を発揮できる者だけが頂点に立てる。それが混成競技の真の強さです。
この競技には、他のスポーツにはあまり見られない美しい文化があります。すべての競技が終わった瞬間、それまで激しく競い合っていたライバルたちが互いの健闘を称え合い、最後は全員でトラックを1周して観客席に挨拶をします。彼らは単なる「敵」ではなく、過酷な限界に共に挑み、戦い抜いた「同志(戦友)」なのです。
そこでは、身体能力だけでなく、集中力、判断力、忍耐力、切り替える力、そして共に競う相手への敬意も問われます。その意味で、混成競技には全人格的な成長につながる要素が含まれているとも言えます。
スペシャリストを超えるゼネラリストの論理——秀逸度と万能度の緊張関係
科学誌『Nature』(Vol. 415, 2002年)に掲載されたVan Damme et al.の研究では、世界ランカー600名を対象とした分析において、特定の種目で秀逸なほど他の種目の総合力が低下するという負の相関(r = −0.37, p < 0.00001)が示されました。「一つの専門に特化しすぎると、別の要素が制約を受ける」という、身体的なトレードオフの関係です。 しかしKenny et al.(2005)が過去5大会のオリンピック出場者92名を分析した結果では、この常識を根底から問い直す発見がありました。特定種目での高い秀逸度と総合得点(万能度)の間に、明確な正の相関(r = 0.57, p < 0.001)が確認されたのです。オリンピックレベルの超一流は、単に器用にすべてをこなす平均型ではありません。突出した武器を持ちながら、同時にすべての種目で高い水準を維持できる——スペシャリスト性とゼネラリスト性を両立させた者だけが、この舞台に立てるのです。 したがって、混成競技の真の強化とは、単にすべてを平均的にこなす「器用貧乏」を目指すことではありません。まず得意種目において専門選手を脅かすほどの武器をつくり、そのうえで他の種目も高い水準に引き上げていく。つまり、「専門性を内包した究極のゼネラリスト」へと進化していくこと。ここに混成競技の核心があります。
日本混成競技の挑戦——「8,000点」の壁を越えて
私が日本陸上競技連盟の混成競技強化に携わり始めた2000年代後半、日本の十種競技には、世界水準の一つである「8,000点」の大台を突破できる選手がまだ現れていませんでした。当時の日本記録は7,995点。あと5点という、なんとももどかしい壁でした。同時に、女子七種競技においても、日本選手が世界へ挑戦していくための強化と環境づくりが重要な課題でした。
ここで私が当時着目したのは、こんな視点でした。日本の100m、走幅跳、砲丸投……それぞれの専門種目の日本記録をすべて得点化して合計し、それに対して十種競技の日本記録がどれくらいの比率を占めているか。十種競技について計算してみると、日本(当時11000点)は約72%。これは混成競技が歴史的に盛んなヨーロッパ(約73%)や北米(約72%)と肩を並べる水準であり、世界の強豪エリアと比べても引けを取らない位置にありました。ちなみに、混成競技の強化が進んでいないアフリカは約68%と一段低く、地域ごとの強化の歴史が比率に表れていることもわかります。
つまり、日本の十種競技は、地域競技力との関係でみると、決して劣等生ではなかった——これが私の見立てでした。一方、女子七種競技については、後ほど触れますが、状況はやや異なっていました。
しかし、ここに重要な気づきがありました。比率が世界水準にあるということは、「日本の十種競技は、日本陸上界全体の競技レベルを忠実に映している」ということです。逆に言えば、この比率のままでは、日本の各専門種目の記録水準が上がるのを待たない限り、8,000点突破は実現しません。
そうではない道があるはずだ——日本の混成選手が、日本の単独種目スペシャリストを脅かす、いや、凌駕していく。世界平均の比率を上回る挑戦をする。この気概こそが、日本混成競技強化の出発点でした。
「11,000点」が示す新たな地平
―専門種目と混成競技が高め合う日本陸上の総合力―
この挑戦は少しずつ実を結びました。2012年ロンドン五輪では、十種競技選手である中村明彦選手が、「400mハードル走」で日本代表に選ばれるという象徴的な出来事が起きました。混成選手がスペシャリストを超えた、一つの証明です。その後、中村選手はリオ五輪では十種競技代表として出場し、右代啓祐選手も日本記録を8,308点へと更新、リオ五輪では2名が同時に十種競技へ出場するまでになりました。
2014年時点では、右代選手の8,308点は各エリアの単独種目最高記録の合計に対して約75%の比率に達し、日本十種競技はアジアを含む全地域の中で最も高い比率を記録しました。2024年には8,308点の比率は約74%へと収束しましたが、これは世界水準が上昇したことの裏返しでもあります。そして2026年、丸山優真選手が8,321点の日本新記録を樹立し、右代選手の記録を12年ぶりに塗り替えました。日本の十種競技はいよいよ新たなステージへと踏み込んでいます。
混成選手が専門選手を脅かすことで、専門種目にも刺激が生まれ、日本陸上界全体の水準を引き上げる相乗効果が生まれる——これが、私たちが描いてきた強化の循環です。
裾野を広げる挑戦——卓越性の循環
そして現在、私たちが取り組んでいるのが、先ほど少し触れた女子七種競技の強化です。先ほどの比率の話に戻りますと、十種競技で日本は世界の強豪エリアと肩を並べる約72%の水準にあったのに対し、七種競技では日本は約77%。世界平均の約80%、そしてアジア(約83%)・北米(約82%)・オセアニア(約81%)といった強豪エリアと比べると明らかに強化の余地がある状況でした。女子選手がヘプタスロンという総合競技の中で自らの可能性を広げ、日本から世界へ挑戦していく姿をつくることは、混成競技の未来にとって非常に重要です。特に、日本人が苦手とされることの多い投擲種目の強化には、技術面だけでなく、文化的な意識改革も含めた新しいアプローチが必要だと考えています。
同時に注力しているのが、子どもたちが混成競技を体験できる裾野を広げる活動です。ドイツには「イェーダーマン・ツェンカンプフ(Jedermann-Zehnkampf)」——「誰もが参加できる十種競技」という文化があります。1980年代半ばに誕生し、現在ではドイツ陸上競技連盟の公式プログラムとして、毎年多くの市民を魅了し続けています。エリートスポーツのトレーニング理論やノウハウが、市民の健康促進やレクリエーションへと還元され、同時に草の根の広がりが次世代の才能を育てる——卓越性の循環がそこには存在します。「限界への挑戦は、選ばれた者だけのものではない。スタートラインは、誰にでも開かれている」——この思想を、日本にも根づかせていきたいと考えています。
結びに
ビジネスの世界においても、一つの専門性を武器にしながら、環境の変化に柔軟に対応し、多様な要素を統合して成果を最大化する力が求められているのではないでしょうか。混成競技は、その意味で「スペシャリストを超えたゼネラリスト」という生き方を考えるうえでも、多くの示唆を与えてくれる競技です。
性質の異なる課題に向き合い、そのたびに自らを切り替えながら、ライバルをリスペクトし、最後まで挑戦し続けるアスリートたちの姿が、皆さまの企業経営や地域社会への奉仕活動における何らかのヒントになれば幸いです。
本日は誠にありがとうございました。


