第1767回例会:2026年7月30日(木)

今回の卓話

挑戦から全てが始まる

挑戦家
安彦 考真

■48歳の現役プロ格闘家、無謀と言われる挑戦を続けてきた

皆さま、こんにちは。ただいまご紹介に預かりました、挑戦家の安彦考真と申します。

私は現在48歳ですが、プロのリングに立つ現役の格闘家として活動しております。本日は、歴史と格式あるロータリークラブにお招きいただき大変光栄に存じます。会場にお手元を拝見しますと、人生の大先輩方がたくさんいらっしゃり、私自身が「挑戦のオーラ」をひしひしと感じております。私から挑戦のパワーをお伝えしに来たはずが、逆に皆さまから大きなエネルギーをいただいているような心地でございます。本日はどうぞよろしくお願い申し上げます。

私の経歴は少し異色でございます。39歳でそれまで勤めていた仕事をすべて辞め、未経験からJリーガーを目指しました。そして40歳で本当にJリーグのピッチに立ち、3年間プレーいたしました。その後、43歳で格闘家に転身し、44歳でプロデビューを果たしました。48歳になった今現在もプロのリングに立ち続けております。

本日は、私がなぜこれほど無謀と言われる挑戦を続けるのか、その原点と理念についてお話しさせていただきます。

■22歳の挫折と「自分に嘘をつき続けた」過去

私は39歳でJリーガーを目指す前、自分自身に大きな「嘘」をついて生きておりました。実は22歳の時、私はあるクラブのプロテストを受けていました。息威勢よくピッチに立ち、「相手をどんどん抜いてクロスを上げてやろう」と意気込んでボールを受けたのですが、いきなり相手選手にボールを奪われたのです。もう一度勝負に行っても、また奪われる。「相手の方が強いかもしれない」と察した瞬間、体に恐怖が走り、失敗を恐れてボールに触ることすら怖くなってしまいました。私はその瞬間、自らプレーを諦めてしまったのです。

テストが終わり、コーチから「もういいよ、シャワーを浴びて帰りなさい」と言われました。不甲斐ない自分、ビビって逃げ出したダサい自分が情けなくてたまりませんでした。しかし、私は周囲の友人たちにこう言い訳をしたのです。

「俺はいいプレーをしたよ。チームと相性が合わなかっただけさ。ちょっと足も痛かったしね」

本当はビビって逃げ出したくせに、格好をつけて嘘をついた。誰にも本当の理由を言えませんでした。これが、私の人生における「自分への嘘の重ね着」の始まりでした。どんな有能な詐欺師であっても、自分自身だけは騙せません。自分が自分に嘘をついていることを、自分だけは知っているからです。この悔しさと後悔が、私の胸にずっと残っていました。

■39歳での決断:迷いを「悩み」に変え、バッターボックスに立つ

39歳になった当時、私は年収1,000万円ほどを稼ぎ、恵比寿の景気の良い場所に住み、いわゆる著名人の方々と仕事をするような生活を送っていました。しかし、どこか心が満たされませんでした。そこでふと気づいたのです。「憧れ(良い家や高級車)はお金で買えるけれど、本当の幸せはお金では買えない」と。

人生を80年とするなら、40歳は折り返し地点です。自分の人生を振り返り、「自分に嘘をついた決断」と「後悔」の数を書き出してみたところ、後悔の方が圧倒的に多かったのです。「このままの人生でいいのだろうか。もう一度、自分に嘘をつかない人生をやり直したい」と激しい葛藤が生まれました。

私は「迷い」と「悩み」は違うと考えています。

迷い: 行動する前の状態(AとBのどちらが良いか、誰に相談しても答えは出ない)
悩み: 行動した後の状態(選んだ道でどう壁を乗り越えるか、経験者からアドバイスをもらえる)

行動した後の「悩み」が大きい人生こそ、人を巻き込み、人生を輝かせるのではないか。そう考えた私は、当時教えていた子どもたちの前で「大人だってバッターボックスに立てるんだ」と証明するため、39歳で積み上げた仕事も収入もすべて手放し、再びJリーガーを目指す決断をいたしました。

周囲からは「おっさんの妄想だ」「詐欺師だ」と酷い批判やネット攻撃を受けました。貯金も底をつき、年俸はなんと「12円(1年目は10円、2年目は120円)」でした。40歳のおじさんが19歳の若手選手から「プロなのに白米に梅干しだけなんて駄目ですよ、ご飯ご馳走しますよ」と言われるような日々でした(会場笑)。

それでも私は幸せでした。自分の足で、自分の意思で選択し、逃げずにバッターボックスに立ち続けていたからです。

■一人の少女が教えてくれた「今、この瞬間」を生きる意味

Jリーグ時代、私を応援してくれた一人の5歳の少女がいました。名前を「ノアちゃん」といいます。

試合に出られない私にも、いつも笑顔で「あきさん!」と駆け寄ってきては、小さな手でキャンディをくれました。厳しい練習と酷評の中で心が折れそうだった私は、彼女の純粋な笑顔に何度も救われました。

しかし、私がプロデビューを果たした後のことです。彼女のお父様から一本の連絡が入りました。ノアちゃんがアナフィラキシーショックにより、突然亡くなったという知らせでした。

言葉を失いました。私は彼女に救われてばかりで、彼女のために何もしてあげられなかった。「もっと本気で努力して、彼女にピッチで戦う姿を見せてあげればよかった」と、激しい後悔が押し寄せました。どれだけ「後悔しない生き方をしよう」と決めていても、全力で生きなければ人はまた後悔をしてしまうのです。

「明日という日が、当たり前に来るとは限らない」

ノアちゃんが教えてくれたこの教訓が、私の今の駆動源です。人間には「物理的な死」と「誰からも語られなくなる死」の2つの死があると言われます。私はこうして大勢の前に立つとき、必ず彼女の話をします。彼女がくれたエネルギーを胸に、今度は私が、一歩を踏み出せずに苦しんでいる人たちに勇気を届ける番だと決意いたしました。

だからこそ、私はピッチから格闘技の「リング」へ戦いの場を変え、今も体を割りながら挑戦を続けているのです。

■決断の数が、人生の豊かさを決める

私が肩書きを「挑戦者」ではなく「挑戦家」としているのは、一度きりの挑戦で終わらせず、生き様として挑戦を繰り返し続ける専門家でありたいからです。

人は誰しも、放っておくと惰性で生きてしまい、また自分に嘘をついてしまう弱さを持っています。しかし、リスクを恐れず「決断」を下し、自分をアップデートし続けることこそが、人生で一番美しい景色を見せてくれるのだと確信しています。

今の日本社会に必要なのは、誰かのために本気で戦い、魂に火をつけ合う「情熱の伝染」です。私は祖父母が大好きで、101歳まで生きた祖母の背中を見て育ちました。「100年後の未来の子どもたちから『じいちゃんたちの時代、最高だったよ』と言われるような社会を残したい」。そのために、私はこれからも挑戦し続けます。

皆さまの人生が、これからもたくさんの素晴らしい「決断」に彩られ、豊かなものでありますよう心よりお祈り申し上げます。本日は誠にありがとうございました。