第1686回例会:2024年7月25日(木)

今回の卓話

「表参道が燃えた(山の手空襲)」

語り継ぐ集い実行委員/一級建築士
泉 宏 様

私は、中学3年生の時に表参道で第二次世界大戦で大空襲を経験しました。下町が火の海と化した東京大空襲の約2ヶ月後、5月25日のことです。あの日のことは、70年以上経った今でも、鮮明に覚えています。青山に住んでいた私は、燃え盛る炎と黒煙が渦巻く地獄のような光景の中を、必死で逃げ惑いました。

空襲警報が鳴り響いたのは、まだ夜が明けきらぬ頃でした。私は家族と一緒に、急いで防空壕に避難しましたが、激しい爆撃音と振動に、恐怖で体が震えました。しばらくして外の様子を見に行くと、街は一面火の海と化していました。逃げ惑う人々が、私のすぐそばで、煙や炎に巻かれ、力尽きて倒れていく姿を目の当たりにしました。中には、家族とはぐれて泣き叫ぶ子供や、火傷を負って苦しむ人々の姿もありました。その光景は、あまりにも悲惨で、私の心に深い傷を残しました。

私は、家族とはぐれてしまいましたが、必死で逃げ惑う中で、陸軍の兵舎を見つけました。兵士に助けを求めると、中に匿ってくれました。しかし、夜が明ける頃には、その建物も燃え始め、私たちは再び逃げ惑うことになりました。焼け跡と化した街をさまよう中で、私は、かろうじて生き延びた母親を見つけました。顔に火傷を負い、着物の胸をはだけた母親の姿は、戦争の残酷さを物語っていました。私は、戦争がもたらす悲劇を、身をもって体験したのです。
この空襲の際には、多くの人が「山陽堂書店」と「安田銀行」に避難しようとしました。山陽堂書店は人々を受け入れ、母は助かりましたが、安田銀行はそれを拒否したため、多くの人が命を落としました。この出来事は、極限状態における人間の行動と、その選択が生死を分けるという厳しい現実を突きつけました。戦争は、人間性を奪い、人々を非情な存在に変えてしまうことがあるのです。

私は、あの空襲から生還できたことを「生きる定め」と感じています。そして、戦争体験を語り継ぐことを使命として生きてきました。戦争を知らない世代が増える中、戦争の悲惨さを風化させないために、語り部としての活動を続けています。戦争の記憶を語り継ぐことは、次の世代に平和の尊さを伝えること、そして二度と戦争の悲劇を繰り返さないために不可欠なことです。

戦争体験者の高齢化が進む中、私の声は、戦争の記憶を後世に伝えることの重要性を改めて訴えかけるものです。そして、平和な未来を築くために、一人ひとりが戦争について学び、考え、行動していくことの大切さを訴えたいと思います。戦争のない、平和な世界を、次の世代に引き継ぐために。私たち一人ひとりが、その責任を果たさなければなりません。

戦争は、決して過去のものではありません。世界各地では、今もなお紛争やテロが続いています。ウクライナやガザでの戦争のニュースを見るたびに、私の心は痛みます。戦争が子供たちに与える深い傷跡を、私は決して忘れることができません。戦争で親を亡くした子供たち、心に深い傷を負った子供たち。彼らの未来を奪う戦争を、私たちは絶対に許してはなりません。

私は、これからも戦争体験を語り続け、平和の尊さを訴えていきます。そして、一人でも多くの人に、戦争の悲惨さと平和の大切さを伝えていきたいと思っています。戦争のない、平和な世界を築くために、私たち一人ひとりができることを考え、行動していくことが重要です。それは、未来を生きる子供たちへの、私たち大人の責任でもあります。

この私の体験を通して、少しでも多くの方に、戦争の悲惨さと平和の尊さについて考えていただければ幸いです。そして、共に平和な未来を築いていくために、力を合わせていきましょう。戦争のない、平和な世界を、次の世代に引き継ぐために。

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全文/表参道が燃えた